すばるくんのあれそれと思ったこととか

先に断っておくが、これは一個人の気持ちであり、そして自分自身もさまざまな想いと考えを抱えているため支離滅裂で内容はしっちゃかめっちゃかである。
また数週間前に書き散らかしていた下書きに加筆修正したものなので、少し気持ちに時差があったりもするが残しておきたかったので書いておきます。





36歳、人生は後半分。そう、あと36年が経てば、彼も70を超えてしまう。そう考えた時、彼の決断はもしかしたら少し遅かったと言われるかもしれないが、タイミングとしては今がベストの時期だったと今はそう思いたい。

関ジャニ∞から渋谷すばるを失うということは、どう考えても大きな損失でしかないと私は思った。
あとの6人だって個人個人がスターであることは十分に理解しているつもりなのだが、今回の事が損失であると捉えなければ彼にも、これまでの7人の関ジャニ∞にも失礼な気がしてならないのだ。
誰も彼の穴を埋めることなんて出来ないし、これはもうずっと埋まらない穴だし、埋めてはならない穴なのだ。なんならきっと内くんの穴だって埋まっていないだろうし、むりくり埋めなくてもいい穴だってあるんだとも思う。損失は損失として、そのまま受け入れるのが私個人的には折り合いがつく。


いろんな人が言っていたと思うけど、私も関ジャニ∞は7人で完成形だと思っていた。完成形だけど未完成で、全部手に入れているように見えるのにそれでもまだお腹はいっぱいにならなくて、まだまだ伸びシロがたくさんあって、この7人の今までもこれからももっともっと先もとても楽しみだった。
もうずっとずっと7人でいるものだと思っていた。7人で歳を重ねて、7人で笑い合っていて、それをずっと見れるものなのだと、なんの保証も無いくせに勝手にそう思っていた。もしかしたらすばるくん以外の6人もそう思っていたかもしれないし、そうじゃないかもしれないとすら思う。

絶対なんて無いことは分かっていたつもりなのに、関ジャニ∞の7人には絶対が通用するものと思っていたというか、なんかそうあるべきものなのだと、なんの疑いも無く本当にずっとこのまま7人でどこまでも行くのだと思っていた。
しかし、もう二度と7人の関ジャニ∞が完成することはなくなってしまった。
そして、私が好きな7人の関ジャニ∞は、期限が来てしまったら7人でなくなる。
それが現実になってしまう時は、今も着々と迫っている。


正直とても寂しい気持ちでいっぱいである。時が経ってもなお寂しいし悲しい。だからなるべく考えないようにしたいのだけれどそれもまた難しい。
7人でいる姿を見るたびに、なんでなんだろうと考えてしまう。時間が解決してくれるわけでもないし、どう考えたって7人でいた期間は重みとなって圧し掛かってくるのでやはり今もまだ受け入れ難い。

だが、元々8人の関ジャニ∞だって発展途上の完成形であったのだし、7人の関ジャニ∞も完成形だったことをふまえると、じゃあ6人の関ジャニ∞だっていつか完成形になれるのではなかろうか。
そう思うことで心の均衡を保つようにしているところは否めないが、それでも絶対彼らなら出来ると思っている。未来だって明るいのだと、そう思うと少しだけ心が軽くなるのだが、それでもすばるくんが辞めてしまう事実をうまく嚥下できないままでいる。

だが、彼らは6人でもきっといつか完成系になれるに違いないはずだ。というより、そうなるしかないところに立たされている。やるしかないところに、なるようになるしかない場所に今、彼ら6人は立たされている。退路はもちろん無いに等しいのだから、もう本当にそうなるしかなくて、やるしかない。

人は逆境に立ったときに強くなれるとか言うけれど、そもそも逆境なんて無いに越したことはない。逆境を正当化しようとする言葉を発さなければいけない状況に陥っただけなのであって、そんなもの最初からなければいい。それなのに現実はあまりにも不条理で、変化を求める人間の存在を否定できない。





すばるくんは、みんなに今回の件を話した時点で腹を括っていて、もうきっと意見は捻じ曲げないつもりだったと思う。たくさんたくさん考えて、それでも自身の人生と現在の活動、そして彼ら6人のこれからの人生とを天秤にかけたときに自分自身を優先した結果が現状なのである。
関ジャニ∞でやる音楽にすばるくんの人生の天秤が傾かなかったことをひどく悲しく思う。そこまでして学ぶ音楽のことがまったくわからない。
だけどわかることもある。
学ぶことというのは尊いし、関ジャニ∞にいて「出来る」音楽と「出来ない」音楽があるのもわかる。うまく言葉に出来ないけれど、すばるくんが人生を音楽に費やしたい気持ちも、やっぱりわかる。わかる部分がたくさんあるのにも関わらずわかりたくないと思うのは、私がわからずやだからだろうか。


また、それと同時に、この結論に至るまでのすばるくんの葛藤や思考の過程にある責任の重みを考えると、どうしても胸が押しつぶされそうになってしまう。
グループとしての責任だったり、社会人としての責任。
自分の本当にやりたいことと、仲間。
仲間と行く道を別つことと、その後の彼らの人生。
ファン、スタッフ、自分に関わったすべての人間。
そして自分の人生と、音楽。
十分悩んで、十分考えを巡らせたことだろう。その重みを分かろうとするだけでもものすごくしんどいのに、当の本人はどれだけ、と考えられずにはいられない。
人生を半分くらい生きて、その状況になって、渋谷すばるになってみないときっと本当のことは分からないけれど、その一歩を歩むと決断した勇気こそは、すばらしいものであると同時に賞賛すべきものなのかもしれない。

そう、応援するべきであり、賞賛するべきことなのかもしれないのだ。


だけどそれも置いていかれる側(と表現させてもらう)にとっては難しいことでしかない。
だって、すばるくんがその決断を取り下げればいいだけの話なのに、私たちはすばるくんと同じ人間で、そしてそれぞれの人生を少なからず好きに生きてしまっているからこそ、彼の人生を止める権利が無いことも理解できてしまうから、だからこそつらいし、結局そう判断したすばるくんを止めることは出来ない。
だってみんな、自分の人生を幸せに生きたいと思ってしまうから。
結局みんな、彼らだって周りの人間だってそしてファンだって、彼のことが大好きでそして優しいから、その優しさがあるから彼の人生の選択を否定出来やしないのだと、そう思う。

残される6人(と表現させてもらう)の気持ちを考えると更につらい。
大切な仲間――。仕事仲間・同僚という側面も確かにあるのだが、彼らは7人でやってきたという期間を、彼らたちを、その人間のことを、本人たち自身が一番大切にしているように見える。だからこそ仲間の突然の申し入れに我々と同等、いやそれ以上に驚き悲しんだことだろう。そしてその想いを歯に衣着せぬ物言いでぶつけ説得し、それでも彼は立ち止まってくれなかった時の気持ちを勝手ながらに想像してはまたつらくなる。
友達として見送るなら、それだけならどれだけ簡単だったことだろうか。
はいそうですか頑張ってね、めっちゃ応援するからな!じゃ済まないことだから、だからつらい。
私がしたつらい思いの何百倍もつらいのは彼らだったはずなのに、こうやって勝手に想像してつらがってる自分はなんなんだろうとふと考えたとき、自分で自分を殴りたくなるがもう書く機会も無いと思うので最後まで頑張る。




すばるくんのいない6人で次のツアーをやると決定した6人とスタッフは英断だったと私は思う。
それこそ公表の時期がCM契約等の兼ね合いもあったので今になってしまったというのもあるが、こうして公表してしまった後でみんなが言うようなすばるさよならお別れツアーをやるのは、私個人としては気が引ける。6人はこれからも関ジャニ∞としてやっていくのだから、発表された時点で6人の腹を括った姿を見せておきたいといったものもあったかもしれない。知らんけど。(お知らせ文やスバラジでの文言だとそう汲み取れる)
とはいえ、7月を過ぎればもうすばるくんを含めた関ジャニ∞のパフォーマンスを見ることが出来ないのは悔しいし悲しい。
なので、生番組でもなんでも、行けなくてもいいから小さくてもいいからどこかの場で卒業式をして、みんなにすばるのアホとか言われて欲しい。どんな形でもいいから最後に7人の姿を見せて欲しい。と打ちながら泣けてきた。
お願いだからお願いだから7人で笑ってる姿を見せてほしい。これは本当のお願い。



会見については、各自の気持ちは一旦置いておいて、これからの方向性が端的に説明されており非常に分かりやすかったと思う。ただ、ここにきてもまだ納得がいっていない様子が伺えてしまったことが心残りであるが、同時に彼らのすばるくんに対する想いというものが本物であったのだと思わされた場面でもあった。
私が会見をみた時は横山さんが泣いているのもあって結構半ギレ状態になっていたけど、嫌でも現実を突きつけ、本人たちの口から言葉を紡がせ、すばるくんが辞めることを公表する場としては最適だったとは思う。言葉を口にすることで、彼らも私たちもすばるくんが辞めるということに現実味を帯びる機会になった。(そのときは現実だと思わなかったけど)
まぁ、そんなことにならない未来の方がよっぽどよかったのだけど。




私は36歳にもなってなおやりたいことがあり目標があり新しい道に進めるすばるくんが羨ましい。
勉強は若いうちにという意見もあるが、勉強を始めるのに年齢なんか関係ない。だからこそすばるくんが羨ましいし、応援したい気持ちもある。自分にできないことを出来て、かつ勇気のある人はいつだってすごい。


こうやって考えていると、もしかしたらもっと早い時期にすばるくんは旅立っていたのかもしれないと思えてくる。タイミングがなかったのだろうか。きっかけが無かったのだろうか。だがなんにせよ、今となってはすばるくんが辞めることはどうやら避けられない事象であるように思えてくる。
そして、そのタイミングが本当にたまたま、たまたま2018年の8が付く年の4月15日だった。
ただそれだけなのに、とてもとてもとても、ただただ寂しい。



結果的にすばるくんだ置いていかれる6人の立場や人生を考えたからといって、これは渋谷すばるのわがままでしかないと、私はそう思ってしまう。そのわがままが、彼の人生なのだと、そう思う。ただ、このわがままを頭ごなしに否定はできなくて、すべてを投げ出してでも他人の人生を巻き込んでまでもわがままを言える勇気はすごいし、それを言えるような環境・仲間で本当によかったと思う。そしてこのことに関してだけは、よかったと、そう思える自分でいたい。




寝る前によく、これが誰かが紡いだお話だったならどれだけよかったことだろうと考えるのと同時に、そう思うこと自体失礼にあたるのではと思うことを繰り返している。
これは紛れもなく生きた人間の意志や葛藤から生まれた事象なのだから、それぞれがそれに費やした彼らの思いを、それは決して簡単ではない決断に至るまでの感情を簡単に踏みにじりたくなはないのだ。だから、もう受け入れて前に進むしかないのは分かっているのに、それでも夢物語だったらな、なんてなことを考えて現実に向き合うことを拒否してしまう。私だってわがままだ。


なんとなくレンジャーで彼らもアレコレ考えたり葛藤しているのだなと感じたり、横山くんさんは一度送り出すと気めたのならもう後ろを振り向かないのかなと思ったりする。それと同時にすばるくんは寂しくないかな、って思ったりもする。
もうきっとずっと7月までこの状態なんだと思う。


時期が来てしまったら、すばるくんはいなくなる。
大きな喪失感を覚えないように、今から準備するしかない。それは分かっている。もうずっと分かっている。こんなにも文章を書いたくせして、分かっていても理解していても、それでも分かりたくないって思ってしまう。全然すっきりしない。きっと本当に6人の姿を見るまで、ずうっとこうなんだろうなとようやく気づき始めた。心に溜まった澱は、そう簡単に取り払えない。この状態と、なんとかうまく付き合うしかない。

もし、もしもすばるくんを送り出す何かがあるのなら、関ジャニ∞の6人には、ファンのことを考えずにすばるくんのことだけを考えてなにかをしてほしい。そういった姿が見れたなら、どうにか一度立ち直れる、ような気がする。




すばるくんのやりたい音楽が関ジャニ∞では出来ない事実は寂しいし悔しいけれど、やりたいことを押し込めたまま人生を終えて欲しくない。私はこう思うけど、私と同じように思う人間も多数いると思うし、やはりここが一番飲み込みづらいところだと考える。

もうどうしようもない。なるようになるしかない。だから、とにかく今は、すばるくんがいる関ジャニ∞を最後まで楽しみたい気持ちと、寂しくて悲しくて複雑で混濁する気持ちを抱えて、前に進むしか、それしか出来ない。

あ~あ、寂しいな。




長々書いてしまったけど、要約するととにかく寂しいんだと思う。



あ〜あ、もうこれ以上書いてもどうにもならないので〆ます。